若い頃に読んだ小説を後年読み返すと,
また違った味わいを発見することがあるという。
私がそう言われたのは,夏目漱石だ。
高校の先生に,漱石は年とってから読め,
と言われた。
その先生でさえも20代後半だったから,
果たして理解して我々に諭していたのかはわからないし,
夏目漱石のような陰鬱な小説を読みたくはないのだが。
音楽でもそういうことがある。
若い頃と年寄りになってからとは,
印象が変わることがある。
私が大学時代に一番好きだったミュージシャンは,
ジャズ奏者のエリック・ドルフィである。
フリー・ジャズに分類されるミュージシャンだ。
特に馬の嘶きと評されたバズクラは凄かった。
テクニックも凄かったが,
孤高とも言える彼の演奏スタイルも若い私を大いに惹きつけた。
一匹狼を気取り,いまだにその癖の抜けない私には,
フォロワーのいない彼のスタイルはぴったりはまった。
あまりに思い入れを入れすぎて,
彼の写真を見ただけで涙ぐむぐらいだった。
エリック・ドルフィは20代の私を虜にしたのだが,
しかし,いつしか卒業の時期がやってきた。
30前後だったろうか,
次第にドルフィを聴かなくなり,
久しぶりに針を落とした彼のレコードからは,
かつての興奮が呼び起こされなかった。
彼の奏でる音に若さや硬さを感じてしまったのだ。
青臭い,とも言える。
私は,彼の死んだ年齢に並ぼうとしていた。
エリック・ドルフィに代わって私を虜にしたのは,
武田和命である。
かつて,山下洋輔トリオに参加したことのあるテナー奏者だ。
彼が死んだ時に,アケタから追悼CDが出た。
CDだけではない。
フォーカスでも彼の死が報じられ,
テレビでも追悼番組が流された。
一般的には無名の彼だが,
いわゆる『通』にはファンが多かったのだ。
彼の何が凄かったのか。
ただの1音が凄かったのだ。
ただの1フレーズでもない。
1つの音だ。
CならCを吹くだけ。
そこに私は非常なる重みを見出したのだ。
高い音が出せるとか,
指が速く動くとか,
アドリブが最高とか,
そういうことはどうでも良かった。
ただの1つの音がミュージシャンの格を規定する。
私は更なる音の深淵にたどりついていた。
だから,一時期ジャズ・バラードばかり聴いていた。
武田和命以外では,ソニー・ロリンズとか,宮沢明が私の好みだった。
決して,イージーリスニング的に聴いていたのではない。
音の重みとか深さに感銘を受けるようになっていたのだ。
多分,この頃が私の感性がMAXだったんだと思う。
その後は,彼らの音を聴いても,
あの頃にたどり着くことができた音の深遠に
達することができない。
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