2012年01月24日

自己中の人 その2

昨日の投稿で『自己中心の人』を取り上げた。
まずはお断りしなくてはならない。

レストラン経営者の例を出したが,
彼が今回の投稿のような人物である,
と申し上げたいわけではない。

私の見てきたある意味不誠実なタイプの人間を語るのに,
導入として使わせていただいた。

不愉快な思いをされる方がいたのなら,陳謝申し上げたい。


さて,この『自己中心的な人』は,基本的に悪人ではない。
近づいても精神的なものを除けば,害はない。
もっとも,その精神的なものは案外大きいのだが。

自己中心的な考えかたというのには正しい面もある。
特に,外国で暮らす我々は,
基本的に自己中心的でなくてはならない

外国では日本以上に,自己責任の世界になる。
文化も違うし,日本以上に悪意を持った人間がたくさんいる。
そんな環境で日本人的な善人を続けようとすると,
あっという間に身ぐるみ剥がされる。

どうしても,人間が悪くなる。
悪くなるし,そうであることが求められる。



しかし,昨日の投稿で取り上げた例は,
お互いの人間関係性の中で作り上げられた自己中心性ではない。

そもそも,人間関係が希薄である,と言っても良い。
もともと,相手を見ない,見ることができない,
そういうタイプだからである。

外国で望まれる自己中心性は,
暮らしの知恵のようなもので,防御的に身につけるものであるが,
取り上げている人物像は,むしろ人間関係が未熟,
端的に言えば,幼児性が強いタイプ,ということになる。

同じ土俵で考えることはできない。


酷い場合になると,
それが妄想に発展する。

そもそもが一方的な人間関係しかわからず,
現実把握が苦手となれば,
導きだされるのは,妄想になりがちだ。

妄想の果てに行きつくのは,『相手が悪い』
そもそも,自分が悪い,という発想がない。

何しろ,自分は『善人』だからである。
自分は絶対の正義なのだ。
どんなことでも,相手が悪い,と正当化されていく。


一方的な正義や善人との思い込みは,
大変タチが悪い。

相手の関係の中で練りこまれたものではなく,
原理的なものだからである。

宗教とか,左翼とか,思想とか,
そこに耽溺する人に見られがちな思考形態になる。

自分は絶対に正しい,
自分に反する人は絶対に悪い。

いや,そもそもそういう人物は自己顕示欲が強すぎるのだろう。


先にも述べたように,
特に外国では,強い自己は必要である。

しかし,それは融通の効かせたものではなくてはならない。
幅の広い考え方の中で,その時々の関係を判断する。

それは少なくとも年齢を重ねたのならば,
年齢に見合った懐の深さが必要であるし,
周りからそれを期待されている。


ところが,ずっと頭の固いまま老齢期に差し掛かると,
もう後戻りができない。

むしろ,先祖返りをして,
ただでさえ強い幼児性がますます強められることになる。

そうした人物は周りに人のいない
寂しい老後を送ることになるかもしれない。

そして,寂しい境遇を誰か人のせいにして暮らしていくかもしれないが,
それは自業自得であり,全く同情できないし,
同情してはいけないタイプの話である。

本人が対価を払うべきであって,
それを周りが背負い込んではいけない,
と私は思うのである。



posted by DEBUO at 00:00 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする